金色の紙に包まれた、小さな延べ棒のような形のチョコレート。イタリア・トリノの名物として知られるジャンドゥイオットです。

これを生み出したのが、カファレルという会社でした。1826年創業の老舗で、いまも同じ菓子を作り続けています。ただしこの商品が生まれた背景には、おいしさを追求したというより、カカオが手に入らなかったという事情がありました。

1826年、トリノで創業

カファレルの創業は1826年。創業者はピエール・ポール・カッファレル(1801年〜1871年)で、場所はイタリア北西部の都市トリノです。

トリノは、イタリアのチョコレート文化の中心地として知られてきました。この街の菓子店が、のちにイタリアを代表する菓子を生み出すことになります。

その後、ミケーレ・プロシェが加わり、社名はカファレル・プロシェ商会となりました。二人の名前が並ぶ社名が示すとおり、これから述べる発明も、二人の仕事として記録されています。

カカオが手に入らなくなった時代

19世紀初頭のヨーロッパでは、カカオの供給が不安定になっていました。

原因は、ナポレオン統治下のフランスとその同盟国に対する、イギリスの海上封鎖です。当時カカオは南米から運ばれてくるものでしたが、海の道が塞がれれば入ってきません。カカオの価格は上がり、量も限られました。

チョコレートを作る側からすれば、材料が足りないという単純で深刻な問題です。量を減らすか、値上げするか、あるいは何かで補うか。カファレルとプロシェが選んだのは三つめでした。

1852年、ヘーゼルナッツを混ぜるという解決

足りないカカオの一部を置き換える材料として選ばれたのが、ヘーゼルナッツでした。

トリノのあるピエモンテ州は、ヘーゼルナッツの産地です。とくにトンダ・ジェンティーレ・デッレ・ランゲという品種は、この地方を代表する存在でした。遠い南米から運ぶカカオと違い、こちらは近くにいくらでもあります。

そして重要なのが、ヘーゼルナッツをペースト状に挽いてから、カカオと砂糖に加えたという点です。単に刻んで混ぜたのではありません。すりつぶして油分を出し、なめらかな生地として一体化させました。

こうして1852年、ジャンドゥイオットが生まれます。

年 出来事 そのとき何が起きていたか
1826年 ピエール・ポール・カッファレルがトリノで創業 チョコレート作りが街の産業として育ちつつあった
19世紀初頭 海上封鎖によりカカオの供給が不安定に 南米からの輸送路が塞がれた
1852年 ジャンドゥイオットが生まれる 地元のヘーゼルナッツでカカオを補った
その後 ミケーレ・プロシェが加わる 社名がカファレル・プロシェ商会に

不足を埋めるための工夫が、新しい菓子の定番を生んだ。チョコレートの歴史には、こうした転換がいくつもあります。

ペーストにする、という技術

この発明の要は、ヘーゼルナッツをペーストにしたことにあります。刻んで混ぜるのとは、まったく結果が違います。

ナッツは油分を多く含んでいます。すりつぶすと細胞が壊れ、中の油が出てきます。粉ではなく、とろりとしたペーストになるのはそのためです。この状態であれば、同じく油脂を主体とするチョコレートとよく馴染みます。

刻んだナッツを混ぜた場合、食べたときに粒として当たります。それはそれでおいしいのですが、カカオの代わりにはなりません。ペーストにして初めて、カカオの一部を置き換える「かさ」になるわけです。

油脂どうしが混ざり合うことで、口溶けも保たれます。カカオが減っているのに、なめらかさが損なわれない。不足を補いながら品質を落とさないという難題を、この一手で解いたことになります。

同じ街の作り手たち

トリノには、カファレル以外にもチョコレートの作り手が集まってきました。量り売りのスタイルで知られる店もあり、その一つについてはヴェンキのチョコレート量り売り利用ガイドで紹介しています。

一つの街に同業者が集まると、技術は速く広がります。ジャンドゥーヤという素材も、カファレルだけのものにとどまらず、地域全体の看板になっていきました。いまではトリノの菓子店を訪ねれば、複数の店が自社のジャンドゥイオットを並べています。

イタリアの菓子とチョコレートの関わりはチョコレートサラミ レシピやチョコレートティラミスでも取り上げました。土地の素材を取り込んで自分たちの形にするという点で、共通した性格が見えてきます。

三角帽子から来た、あの形

ジャンドゥイオットの見た目は独特です。上面がゆるやかに盛り上がり、裏は平ら。延べ棒のような形をしています。

この形には由来があります。ジャンドゥーヤという名前の人物がかぶる三角帽子が、形の着想になったとされています。菓子の名前と形の両方が、同じ由来から来ていることになります。

金色の紙で一粒ずつ包む売り方も、この菓子の印象を決めています。中身が見えないぶん、開けるまでの間が生まれる。手のひらに乗る大きさで、包みを開いて口に入れるという一連の動作が、そのまま商品の体験になっています。

ジャンドゥーヤという素材そのものについてはイタリアチョコの特徴で扱いました。ヘーゼルナッツとカカオを練り合わせたペーストは、いまでは瓶詰めのスプレッドとしても世界に広まっています。

いまはリンツの傘下にある

カファレルは現在、リンツ&シュプルングリの子会社です。工場はイタリアのルゼルナ・サン・ジョヴァンニに置かれています。

リンツはスイスのチョコレートメーカーで、日本でもリンドールで広く知られています。その全体像はリンツ「リンドール」全種類フレーバー一覧にまとめました。

老舗が大手の傘下に入るという話は、菓子の世界では珍しくありません。設備投資や販路の面で有利になる一方、土地に根ざした商品がどこまで元の形を保てるかという問題もついて回ります。カファレルの場合、ジャンドゥイオットという看板商品はいまも作られ続けています。

名前が土地に残る

ジャンドゥイオットという名前は、いまではカファレル一社のものではなく、トリノという土地を指す言葉のようになっています。

菓子の名前が地名と結びつくと、そこには産地としての信用が生まれます。買う側は「トリノのジャンドゥイオット」として選び、作る側はその看板に見合うものを出そうとする。一社の商品名が、地域の共有財産に変わっていったわけです。

ベルギーのプラリネや、日本の生チョコのように、特定の土地と結びついた菓子はほかにもあります。ベルギーの例はベルギーチョコの特徴は?で扱いました。発祥の地が名乗りを上げ、その名で売られ続ける。カファレルの二百年は、その仕組みが働いた一例でもあります。

不足から生まれたものが、名物になる

ジャンドゥイオットの成り立ちを振り返ると、順番が普通とは逆であることに気づきます。

おいしいものを考えて作ったのではなく、足りないものを補ったら、おいしいものができた。カカオが十分にあれば、ヘーゼルナッツを混ぜる発想は出てこなかったかもしれません。

似たことは、ほかの菓子にも起きています。制約があったからこそ生まれた形というのは、食べ物の歴史では珍しくありません。トリノという街が、カカオの入りにくい内陸にあったことも、この工夫を後押ししたと考えられます。

金色の包みを開けるとき、そこに19世紀の材料不足があったことを思い出してみてください。二百年近く残っている菓子の出発点は、豊かさではなく不足でした。

材料が足りないという事態は、作り手にとっては困りごとでしかありません。それでもそこから新しい定番が生まれることがある。カファレルの例は、制約が形を決めるという話の分かりやすい見本になっています。

参考文献

※商品の仕様や販売状況は変わることがあります。最新の情報はメーカーの公式サイトでご確認ください。