ティラミスの表面には、濃い茶色の粉がたっぷりかかっています。あれをチョコレートだと思っている人は少なくありません。

チョコレートティラミスという名前の商品もあるため、なおさらそう思われがちです。けれど基本の材料を並べてみると、チョコレートは入っていません。かかっているのはココアパウダーです。同じカカオから来ているのに別のものとして扱われる理由を、この菓子の成り立ちからたどってみます。

名前は「私を引っ張りあげて」

ティラミスという言葉には意味があります。「私を引っ張りあげて」、転じて「私を元気づけて」という意味です。

菓子の名前としては、ずいぶん直接的です。形でも産地でも人名でもなく、食べた人がどうなるかを名前にしている。エスプレッソの苦みと砂糖の甘さ、そして卵とチーズのコク。疲れたときに口にすれば確かに効きそうな組み合わせです。

名前が効能を語る菓子というのは珍しく、この一点だけでも記憶に残ります。

生まれたのは1970年代のイタリア

ティラミスは、イタリア北東部ヴェネト州のトレヴィーゾで1970年代に生まれたとされます。ただし異説もあり、発祥については議論が残っています。

菓子としては比較的新しい部類です。何百年も前から伝わる郷土菓子ではなく、現代になって生まれ、短期間で世界へ広まったものだと考えると、その後の展開も理解しやすくなります。

イタリアの菓子とチョコレートの関係についてはイタリアチョコの特徴で、同じくイタリア発祥の菓子についてはチョコレートサラミ レシピで扱っています。

材料に、チョコレートは入っていない

基本の材料を並べると、この菓子の構造が見えてきます。

役割 材料 何を担っているか
土台 ビスコッティ・サヴォイアルディ 液体を吸い、層を支える
しみ込ませる液体 エスプレッソ、マルサラワイン 苦みと香りを行き渡らせる
クリーム部分 卵黄、砂糖、ザバイオーネ、マスカルポーネチーズ コクと甘さを受け持つ
仕上げ ココアパウダー 苦みを最初に立てる

チョコレートの名前はどこにも出てきません。カカオに由来するものとして使われているのは、最後にふるココアパウダーだけです。

ここが、見た目と中身のずれを生んでいます。表面が濃い茶色なので、チョコレートの菓子だと受け取られる。けれど実際には、コーヒーとチーズの菓子に、カカオの粉をかけたものです。

コーヒーが主役の菓子

材料の並びをもう一度見ると、この菓子の骨格が見えてきます。苦い液体を、甘いクリームで受け止める。それがティラミスの構造です。

エスプレッソは、普通のコーヒーより濃く抽出したものです。そのまま飲めばかなり苦い。これをビスケットにしみ込ませ、上から甘いクリームを重ねる。口に入れたとき、苦みと甘さが同時に来る形になります。

さらに仕上げのココアパウダーが、もう一段の苦みを足します。苦みが二か所にあり、そのあいだに甘さが挟まっている。この配置が、甘いだけの菓子にならない理由です。

マルサラワインが加わることもあります。酒の風味が入ると、全体が締まって大人向けの味になります。市販品や家庭向けのレシピでは省かれることも多い材料です。

サヴォイアルディという土台

意外と語られないのが、土台に使われるビスケットです。ビスコッティ・サヴォイアルディと呼ばれる、軽く乾いた細長い焼き菓子が使われます。

このビスケットが選ばれているのには理由があります。乾いていて、液体をよく吸うからです。しっとりしたスポンジではここまで吸いません。乾いた生地だからこそ、エスプレッソを含んで別の食感に変わります。

吸わせすぎれば崩れ、吸わせなければ乾いたまま残る。ここが手作りでいちばん難しいところで、浸す時間の加減が仕上がりを分けます。

乾いたものに液体や油脂を組み合わせるという構造は、チョコレート菓子にも共通して見られます。乾いた素材を活かす考え方はチョコレートクランチはなぜ土産の定番なのかでも取り上げました。

ココアパウダーとチョコレートは別物

では、ココアパウダーとチョコレートは何が違うのでしょうか。

ココアパウダーは、カカオマスから油脂を搾ったあとに残る粉です。油脂が抜けているため、口の中で溶けません。粉のまま舌に触れ、苦みと香りだけが伝わります。

一方チョコレートは、ココアバターという油脂を含んでいます。体温で溶けるので、口当たりがなめらかになります。

ティラミスの仕上げにココアパウダーが使われているのは、この違いが効いているからだと考えられます。下にあるクリームがすでに濃厚なので、そこへ溶ける油脂を重ねると重くなりすぎる。粉のまま苦みだけを乗せることで、全体が締まります。

それぞれの原料の関係はカカオマス・ココアバター・ココアパウダーの違いとは?に、チョコレートとココアの関係はチョコレートとココアの違いにまとめました。

日本での流行と、その後

日本でティラミスが広まったのは、1980年代半ばのことです。当時はイタリア料理の人気が高まっていた時期にあたります。

流行は1990年代にピークを迎えますが、その勢いは長く続きませんでした。1992年には「流行を気にする女の子にとっては気恥ずかしい」菓子と言われるようになっていた、という記述が残っています。

流行が強いほど、飽きられるのも早い。数年で「気恥ずかしい」と言われる状態まで振れたというのは、当時の熱の高さを物語ってもいます。

その後ティラミスは、流行の菓子ではなく定番の一つとして残りました。いまでは喫茶店にもコンビニにも並んでいます。騒がれなくなってから定着したという点では、多くの輸入菓子と同じ道をたどったことになります。

「チョコレートティラミス」は何が違うのか

現在売られている商品には、チョコレートティラミスと名のついたものがあります。

これらは、本来の構成にチョコレートを加えたものです。クリームにチョコレートを混ぜる、層のあいだにチョコレートを挟む、あるいは仕上げを削ったチョコレートにする。作り方はさまざまですが、もとのティラミスにはなかった油脂を足しているという点は共通します。

結果として、口当たりは重くなり、コーヒーの苦みは相対的に後ろへ下がります。もとのティラミスが苦みと軽さで成り立っていたのに対し、こちらは濃厚さを前に出した設計です。

どちらが正しいという話ではありません。ただ、名前が同じでも狙っているところは違うということは、知っておくと選びやすくなります。あっさりした後味を求めるなら、ココアパウダー仕上げの基本の形を探すほうが近道です。

粉のままである、ということ

ティラミスを食べるとき、最初に舌に触れるのはココアパウダーです。溶けずに、苦みだけが先に来る。そのあとからクリームの甘さが広がります。

もしここがチョコレートだったら、この順番は起きません。溶けないからこそ、先に苦みが立つ。あの構成は、ココアパウダーでなければ成立しないものです。

次にティラミスを口にするときは、表面の粉を意識してみてください。チョコレートではないと知っているだけで、あの一口の構造が少し違って感じられるはずです。

見た目から材料を推し量ると、しばしば取り違えます。茶色ければチョコレート、白ければクリーム。そうとは限らないという例が、この菓子には詰まっています。表示を見る習慣は、売り場だけでなく喫茶店の皿の上でも役に立ちます。

同じ名前で中身が違う商品は、ティラミスに限りません。何が入っているかを確かめる癖がつくと、選ぶ楽しみも少し増えます。

参考文献

※商品によって材料や作り方は異なります。市販品については各メーカーの表示をご確認ください。