「日本で最初にチョコレートを食べたのは誰?」
この質問に正確に答えられる人は、意外と少ないのではないでしょうか。
実は、日本にチョコレートが伝わったのは江戸時代のこと。しかも当時のチョコレートは、甘いお菓子ではなく「薬」として扱われていました。
この記事では、1797年に長崎で記録された日本最初のチョコレートから、森永・明治の国産化競争、そしてバレンタイン文化の誕生まで、日本チョコレート史を年表付きで完全解説します。
【江戸時代】日本で最初にチョコレートを記録した人

1797年、長崎の遊女「大和路」
日本で最初にチョコレートが記録されたのは、1797年(寛政9年)のことです。
当時、外国との貿易の窓口だった長崎。その著名な遊女町・寄合町の記録『寄合町諸事書上控帳』に、こんな記述が残っています。
寄合町の遊女「大和路」が、出島のオランダ人からもらって届け出た品物の中に、「しょくらあと 六つ」
これが史料に記された日本で最初のチョコレートです。
「しょくらあと」とは、オランダ語の「chocolaad」(チョコラード)を日本語で音写したもの。当時のチョコレートは、公式な輸入品ではなく、オランダ商館員が自分用に持ち込んだものを遊女への贈り物として渡していたようです。
さらに古い説:支倉常長(1617年)
実は、1797年よりさらに古いチョコレート体験の記録があるという説もあります。
1617年、伊達政宗の家臣・支倉六右衛門常長(はせくらろくえもんつねなが)が、通商条約締結のためにメキシコへ渡った際、現地で薬用としてのチョコレートを味わったとも言われています。
ただし、これは確実な史料がなく、「諸説あり」とされています。
江戸時代のチョコレートは「薬」だった
現代の私たちにとって、チョコレートは甘いお菓子の代表格。しかし、江戸時代のチョコレートは「薬」として認識されていました。
京都の蘭学者・廣川獬(ひろかわかい)が記した『長崎聞見録』(1800年刊行)には、こう記されています。
「しょくらとを」は「紅毛人の持渡る腎薬」
つまり、オランダ人が持ち込む精力剤・強壮剤のような薬として扱われていたのです。溶かして飲む苦い薬。現代のビターチョコレートの原型のようなものだったのでしょう。
徳川昭武のココア体験(1867年)
江戸時代最後のチョコレート記録は、1867年のパリ万博に残されています。
15代将軍・徳川慶喜の弟で、水戸藩主だった徳川昭武(とくがわあきたけ)。彼は幕府代表としてパリ万博に赴きました。その日記『徳川昭武幕末滞欧日記』に、こんな記述があります。
「朝8時、ココアを喫んだ後、海軍工廠を訪ねる」
これは文献にあらわれる最初のチョコレート(ココア)の体験であり、江戸時代最後のチョコレートの記録でもあります。
【明治時代】西洋文化とともにチョコレートが到来
明治維新と西洋菓子の輸入
明治維新を迎え、日本は急速に西洋化が進みます。チョコレートも、この流れの中で日本に本格的に入ってきました。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1873年(明治6年) | 岩倉使節団がヨーロッパのチョコレート工場を視察 |
| 1877年(明治10年) | 風月堂がチョコレートの輸入販売を開始 |
| 1878年(明治11年) | 米津風月堂が日本初のチョコレート「貯古齢糖」を販売 |
「貯古齢糖」(ちょこれいとう)という当て字が面白いですね。当時のチョコレートは非常に高価で、庶民には手の届かない贅沢品でした。
森永太一郎のアメリカ修行
日本のチョコレート産業を語る上で欠かせない人物が、森永太一郎です。
1899年(明治32年)、森永太一郎は11年間にわたるアメリカでの洋菓子修行を終えて帰国しました。
佐賀県出身の森永は、アメリカで本格的な洋菓子の製法を学び、「日本人に本物の洋菓子を届けたい」という志を抱いて帰国。東京・赤坂に小さな洋菓子店を開業しました。これが後の森永製菓の始まりです。
当時の日本には、チョコレートを本格的に製造する技術がありませんでした。森永太一郎の挑戦は、日本のチョコレート産業の歴史を変えることになります。

【大正時代】国産チョコレートの誕生
1909年:森永が日本初の板チョコを製造
1909年(明治42年)、森永製菓は日本初の板チョコレートの製造・販売を開始しました。
ただし、この時点ではまだ輸入した原料(カカオマスなど)から製造しており、カカオ豆からの一貫製造ではありませんでした。
真の意味での「国産チョコレート」が誕生するには、もう少し時間が必要でした。
1918年:歴史的な「森永ミルクチョコレート」発売

日本のチョコレート史において、1918年(大正7年)は特別な年です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| カカオ一貫製造成功 | 1918年8月27日 |
| 森永ミルクチョコレート発売 | 1918年10月1日 |
| 価格 | 1枚15銭 |
| 特徴 | 日本初のカカオ豆からの一貫製造 |
8月27日、森永製菓は日本で初めてカカオ豆からのチョコレート一貫製造に成功しました。そして10月1日、一般向けに「森永ミルクチョコレート」(1枚15銭)が発売されたのです。
これは日本のチョコレート産業の歴史的な転換点でした。カカオ豆を焙煎し、摩砕し、練り上げて、チョコレートに仕上げる。この一連の工程を日本国内で完結させることに、初めて成功したのです。
翌年の1919年(大正8年)には、森永ミルクココアも発売。これが日本のココア第1号となりました。
1926年:明治製菓の本格参入
森永に続いて、明治製菓(当時は東京菓子株式会社)もチョコレート製造に本格参入します。
1926年(大正15年)、明治製菓は川崎工場でチョコレートの本格的な一貫製造を開始。同年9月に明治ミルクチョコレートを発売しました。
ここから、森永と明治の「チョコレート競争」が始まります。この競争は、結果として日本のチョコレート産業全体の発展を促すことになりました。
【昭和時代】バレンタイン文化の誕生

1932年:モロゾフが日本初のバレンタイン広告
「バレンタインデーにチョコレートを贈る」という習慣は、いつから日本に定着したのでしょうか。
この起源については2つの説があります。
まず、モロゾフ説。
1931年、神戸トアロードにオープンしたチョコレートショップ「モロゾフ」。創業者は、米国人の友人から「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする習慣がある」と聞きます。
翌1932年、モロゾフは日本で初めて「バレンタインデーにチョコレートを贈る」というスタイルを紹介しました。
1935年には、英字新聞「ジャパンアドバタイザー」に日本初のバレンタインチョコ広告を掲載。以後、太平洋戦争開戦前の1940年まで、毎年バレンタイン広告を掲載していたことが確認されています。
1958年:メリーチョコレート「女性から男性へ」
もう一つの説が、メリーチョコレート説です。
1958年(昭和33年)2月、東京のメリーチョコレートは、新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出しました。
結果は…3日間で板チョコ5枚とカード5枚だけ。
大失敗でした。
しかし、メリーチョコレートは諦めませんでした。翌年、ハート型チョコを作り、そして決定的なキャッチコピーを生み出します。
「女性から男性へ」
これが、日本独自のバレンタイン文化の始まりでした。
なぜ日本では「女性から男性」なのか
世界的に見ると、バレンタインデーは「男性から女性へ」贈り物をする日。あるいは、恋人同士がお互いにプレゼントを交換する日です。
では、なぜ日本だけ「女性から男性へ」なのでしょうか。
これは、メリーチョコレートのマーケティング戦略が成功した結果です。当時、日本では「女性から男性に告白する」という文化がほとんどありませんでした。その心理的ハードルを、チョコレートという媒体で下げようとしたのです。
この戦略が功を奏し、1970年代後半にはバレンタインにチョコを贈る習慣が一般化。1980年代には、義理チョコやホワイトデーといった日本独自の文化も誕生しました。
日本チョコレート史年表【完全版】
日本のチョコレートの歴史を、年表でまとめました。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1617年 | 支倉常長がメキシコでチョコレートを体験(諸説あり) |
| 1797年 | 長崎の遊女「大和路」が「しょくらあと」を記録(日本最初の史料) |
| 1867年 | 徳川昭武がパリ万博でココアを体験 |
| 1878年 | 米津風月堂が日本初のチョコレート「貯古齢糖」を販売 |
| 1899年 | 森永太一郎がアメリカから帰国、洋菓子店を開業 |
| 1909年 | 森永が日本初の板チョコレートを製造 |
| 1918年 | 森永がカカオ豆からの一貫製造に成功、森永ミルクチョコレート発売 |
| 1919年 | 森永ミルクココア発売(日本初のココア) |
| 1926年 | 明治製菓が川崎工場で本格製造開始、明治ミルクチョコレート発売 |
| 1932年 | モロゾフがバレンタインチョコを日本で初めて紹介 |
| 1935年 | モロゾフが英字新聞にバレンタイン広告掲載 |
| 1958年 | メリーチョコレートが伊勢丹でバレンタインセール、「女性から男性へ」 |
| 1970年代後半 | バレンタインにチョコを贈る習慣が定着 |
| 1980年代 | 義理チョコ・ホワイトデーが誕生 |
現代の日本チョコレート産業
世界に誇る日本のチョコレート文化
現在、日本のチョコレート産業は世界でも高い評価を受けています。
Bean to Bar(ビーントゥバー)と呼ばれる、カカオ豆の仕入れから製造まで一貫して行うスタイルのチョコレートショップが増加。職人がこだわりを持って作るクラフトチョコレートが人気を集めています。
また、抹茶チョコレートやほうじ茶チョコレートなど、日本独自のフレーバーは海外でも大人気。日本を訪れる観光客のお土産としても定着しています。

バレンタイン市場の変化
かつては「女性から男性へ」が主流だったバレンタイン。しかし近年は、自分チョコ(ご褒美チョコ)や友チョコなど、贈る対象が多様化しています。
義理チョコ文化も見直され、「自分へのご褒美」としてちょっと高級なチョコレートを楽しむ人が増えているのです。
1918年の森永ミルクチョコレートから100年以上。日本のチョコレート文化は、今もなお進化を続けています。
まとめ
日本のチョコレートの歴史を振り返ってきました。
日本チョコレート史のポイント
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 日本最初の記録 | 1797年、長崎の遊女「大和路」の「しょくらあと」 |
| 江戸時代の扱い | 甘いお菓子ではなく「薬」として認識されていた |
| 国産化の立役者 | 森永太一郎(アメリカで11年間修行) |
| 国産チョコ第1号 | 1918年発売の「森永ミルクチョコレート」 |
| バレンタイン起源 | 1932年モロゾフ、1958年メリーチョコレート |
| 日本独自の文化 | 「女性から男性へ」「義理チョコ」「ホワイトデー」 |
江戸時代に「薬」として伝わったチョコレートは、明治・大正時代に国産化され、昭和時代にはバレンタイン文化と結びついて日本独自の発展を遂げました。
次にチョコレートを食べるとき、ぜひこの200年以上の歴史を思い出してみてください。一口のチョコレートが、きっと味わい深く感じられるはずです。
著者: 佐藤 真理子(チョコレートライター)
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